信用金庫で1年働いて、「これはいつか潰れるな」と思った理由。
- 2018.06.24
- 金融業界の実態
私は新卒で信用金庫に入社し、1年と少しが経った。
1年目からお客さんと接し、ローンの契約をしたり、毎日のように決算書を見たり。
自分のミスでお客さんに迷惑をかけ、クレームになったことなど、比較的早い段階でいろいろな経験をしたかと思う。
その反面、1年もいると様々な場面で信用金庫の業務の非効率さが目に付いた。
「これ何十年前から同じことやっているんだろう」とむしろ興味が湧いてくるくらいで、10年以上前の書類や伝票を見ると、見事に何も変化がなかった。
あっぱれ。
こんな現状の職場の中で、『信用金庫はそのうち潰れるな』と思うようになったわけである。
そこで今回は、私が信用金庫で1年働いて感じた、『いつか信用金庫が潰れると思う理由』について書きたいと思う。
「信用金庫がいつか潰れるな」と感じたこと
今回書くことは、仕事内容ではなく、会社の風土や仕事の形式に関してである。
それでは、書いていきたい。
勤怠管理が手書きの紙
私が勤める信用金庫に入って間もなく、右も左も分からない状態の中で最初に驚いたこと。
それが、勤怠が手書きの紙によって管理されていたことである。
今の時代にこれはさすがに信じられなかった。
学生時代に経験したバイトでも、タイムカードなりタブレットでの管理であり、手書きの勤怠なんて見たことなかった。
手書きで勤怠を管理すると何が起こるかというと、
・残業時間が自己申告なのでサビ残が常態化
・少し書き間違えると訂正印を押して書き直さなければいけない
・自分で残業時間の計算をしなければならない
・上司が取りまとめ、全員分の残業時間を再計算
・担当が決められ、一人一人の勤怠をシステムに全て手入力する
パッと思いつくだけでもこれだけある。
私が勤める信用金庫では、今の時代では考えられないところに無駄な労力を費やしているのだ。
そして、この形式に対して上層の方々は誰一人疑問を抱いていない様子。
いつか社会から淘汰されても不思議ではないなと思った。
顧客の大半が高齢者
『信金はお客さんとの距離が近いので親しみやすい』という昔ながらのイメージが根強いのか、信用金庫の顧客の大半は高齢者である。
若い世代になるほど、利便性や合理性を求めるため、信金の利用者は少ないというか、レアな傾向にある。
信用金庫に入る前から分かっていたことであったが、予想以上に高齢者の客が多く、言い方が悪いかもしれないが、完全に時代遅れ、情報弱者の顧客が多いのだ。
だから、時代の流れに乗ってペーパーレス化やネットバンキングなどを進めようにも、メインである高齢者向けに、従来のひどく手間のかかる手続きも続けていかなければならない。
結局、いつまで経っても手続きやシステムが刷新されることはなく、今の時代の変化のスピードの中で、従業員も含めてどんどん置いてかれているように感じた。
このような現状の中で私が危惧したこととして、『メイン顧客である高齢者世代が亡くなったらどうなるのか』ということである。
少なくとも私の世代で、周囲に信金をメインで使っている人は見たことがない。
となれば高齢者世代がなくなるにつれ、顧客は自然減、新規客の見込みはあまり望めないため、預金量が激減する可能性があると思う。
ただでさえ人口が減ってきている時代の中で、高齢者に偏った取引がある信金にとって大きな影響を及ぼすだろう。
ネットを使っていないどころか、何一つデバイスを持たない顧客
金融機関の顧客というのは、法人個人問わず取引がある。
連絡手段としては主に電話であり、問い合わせの類も全て電話でかかってくる。
その中でもしょうもない問い合わせがくる。
内容を紹介しよう。
①営業時間を聞いてくる
②NHKや、消費者金融の電話番号を聞いてくる
③預金残高を聞いてくる
④支店はどこにあるのか聞いてくる
正直、これら全てネットで調べれば一瞬でわかることである。
特に他社の電話番号を聞かれた時は、『なんでわざわざこっちが調べないといけないのか』と思うので、「ネットで調べればわかると思いますけど」と返してしまうことがある。
すると、高齢者であろう相手から帰ってき言葉はこれだった。
「うちネット使えないです」
話を聞いていくと、どうやらネット環境の話ではなくて、PCもスマホもガラケーも、ネットを使えるデバイスを何一つ所持していないのだという。
時代に遅れた人間ははっきり言って人に迷惑をかけている。
その自覚すらなく、態度が大きいものだから、高齢者は困ったものである。
信用金庫はこのような雑務にも追われ、非効率な作業ばかりの現実に、明るい将来は見えなかった。
思考回路が完全に昭和の上司
私は信用金庫に入って、仕事は当然のようにつまらなかったし、さらに生きていることさえ楽しくなくなっていった。
その理由として、会社の風土が昭和のままストップしたかのようなところがあり、非常に生きづらさを感じてしまったのだ。
・厳しい上下関係
・休憩や食事、休みを取ることが悪だという考え方
・休日イベントの多さ(若手は強制参加)
・地方であるため、近くに立ち寄れるような店もない
・やることすべてに許可が必要で、自分の意思や意見を主張できない
・上司に立たされながらの長時間の説教
・営業スタイルが根性論で、合理性など皆無
などなど、そこに自由や人権などなく、ただ数字のため、会社や上司のために生きているような感覚に陥った。
休むことや休憩を取ること、飯を食うことが悪だと考えたり、『やり方なんていいからとにかく数をこなせ、とtれるまで帰ってくるな』と言った根性論。
ここに一切の合理性はなく、時代の変化に乗ろうとしない姿勢が、現在の金融業界の経営不振につながっているわけだ。
やっていることが数十年前と全く同じ
いくつか例を紹介しよう。
①毎年恒例のキャンペーン
多くの金融機関では、夏と冬のボーナス月に定期預金をやった人に対してちょっとした景品ををプレゼントするキャンペーン>を毎年実施している。
近年、商品は多様化し、投資信託や国債、外貨定期なども対象になっているが根本は同じ。
景品といっても、私の信用金庫では、台所用洗剤やラップ程度のものである。
②住宅ローン借換ローラー
以前、別記事で説明した、通称『ローラー』。
個人宅を片っ端からピンポンし、住宅ローンの借り換えを促すものである。
どちらにも共通して言えるのが、『はるか昔からやっていることがほぼ変わっていない』ということ。
支店長世代が若手の頃からまっったく同じことをやっているとのこと。
これだけ時代が変化しているにもかかわらずだ。
これだけ低金利の時代に昔ながらの定期預金キャンペーンなどやっても、興味を持つお客さんは昔と比べてはるかに少ないはず。
ローラーに関しても、昔は専業主婦が多く、話を聞いてくれる先もあったかもしれないが、今では共働き世帯が多く、ほとんどが不在である。
にもかかわらず、上からは昔と変わらないノルマと、根性論で達成することを強要してくる。
時代の変化を汲み取れず、サービスの質や、売り方の工夫がいつまでたっても見られないことに私は驚愕した。
数百万程度の融資案件にも必死
信用金庫の貸出は基本、小口の融資を数多く実行することで貸出金を伸ばしていくスタイルである。
役席である上司でさえ、数百万程度の法人向けの融資に取り組んでいる状況である。
今の低金利時代、小口融資で得られる利益なんて微々たるものだ。
数百万程度の融資案件であっても、それなりの手続きが必要で、実行するまでに結構手間がかかる。
加えて信金は、銀行に比べてアナログであるため、なおさら時間がかかる。
また、信金は非営利な一面もあり、必要以上に経営の効率化をしようとしないため、ツールなどの面で周囲に遅れをとっている。
このような小口融資に時間と手間をかけて行く経営は、これから人口が減り、信金の利用者自体が減っていくであろう時代の中で、いつまでも続けていくことは厳しいのではないかと、新入社員なりに感じた。
新人の過多な雑用
信用金庫で1年働いてみて、新人はとりわけ雑用が多かったように感じる。
いくつか挙げてみたいと思う。
・朝は1本早い電車に乗り、支店周辺の掃除
・頻繁にあるコピー用紙の詰め替え、エラーの処理
・ゴム印押し
・休日イベントの場所取り、買い出し
・地域の祭り前日の準備
・保管書類箱を運ぶ
なんというか、昭和の香りが色濃く残っている会社であった。
オフィスで働く方からすれば想像もできないこともあるだろう。
掃除やゴミ捨て、書類の入った箱を何度も階段を往復して運ぶといった雑用が当たり前のようにある。
「自分はなんのためにこの会社に入ったのだろう」と感じざるをえず、とてもじゃないけど長く勤めたいとは思えない職場であった。
事務の非効率さ
金融機関の仕事は、どんなにちょっとしたことでも役席の許可(検印)が必要で、役席に案件書類を必ず提出する。
そこに少しでも不備があると返される。
これが非常に細かくて、例えば数字にコンマがついてなかったり、1箇所ハンコが漏れているだけで突き返され、また提出し直さなければならない。
また、振込用紙に¥マークが付いていただけで再度お客さんに書き直してもらわなければならなかったり。
そして、支店には様々な管理簿が存在しているが、日付を間違えたりすると、紙を新しくして書き直すことがある。
すると今まで書かれていたものをすべて書き直し、一人一人に印鑑をもらい直すというとんでもなく無駄な作業。
こうして、日付を間違えただけで係全員に「自分がミスをした」という事実が公開され、晒し者にされるのだ。
そして、一人一人に謝罪をしなければならない。
このように、無意味に人の精神を削る作業が数多くあり、本来優秀な人間もどんどん心が折れていく環境が出来上がっているのだ。
休日イベントの多さ
銀行や信用金庫は基本的に土日は休みである。
しかし、休みであるはずの土日を使い、年間に何度もイベントが行われる。
私の会社では、
・ゴルフコンペ
・バーベキュー大会
・地域の祭り
・餅つき大会
・社員旅行
・運動会
などなど。
せっかくの休日や祝日が会社の行事によって奪われる。
基本的に強制参加であり、断るものならば、会社での評価にも影響してくる。
だからほとんど全員、いやいや参加しているのが現状だ。
私は1年間働き、年に何度かある3連休を、何かしらの行事で潰され、まともに3連休を取ることができなかった。
『会社に依存した働き方』は現代に適していないが、金融業界では相変わらず昔のしきたりが残り続けている。
いずれ『時代遅れな業界』だと、一般に認知されていくだろう。
支店長の独裁的な権力
私は1年目のジョブローテーションを経た後、融資窓口を担当することになった。
窓口を担当すると、長年の付き合いなんだろう、常連のお客さんが頻繁に来る。
そしてなぜか預金関係の用事を融資窓口で済ませようとする客が一定数いる。
ある日、私はいつものように、常連客の対応をしていた。
その最中に突然、支店長が、
「これにゴム印押しといて」
と私に頼んできた。
「頼む時間あったら自分でゴム印押せるだろ」
と誰もが思うかもしれないが、
支店長なりの若手とのコミュニケーションなのか、私の支店の支店長は、雑務関係を何一つ自分でやらない。
2つ返事で「はい」と答えたが、私は「あくまでお客さんの対応が先だろう」と考え、お客さんの対応を優先して取り組んでいた。
数分後、支店長から、威圧的に「まだ?」と言われた。
私はお客さんの対応中であったが、急いで支店長に頼まれたゴム印を押し、お客さんをそっちのけで頼まれたものを支店長に渡しに行った。
どうやらこの職場では、お客さんの対応よりも支店長に頼まれたことを優先しなければならないようだ。
『銀行の常識は世間の非常識』なんて言葉をたまに聞くが、こういったところに現れていると思う。
金融機関で働く上で、支店長の言うことを聞かない人は良い印象をもたれない。
支店長に嫌われれば出世はまずない。
なので、お客さんがいようと、どんなに急ぎの案件に追われていようと、支店長の言うことは絶対服従しなければならないのだ。
最後に
いかがだろうか。
私が感じる、『銀行お将来性のなさ』について、少しでもお分かりいただけただろうか。
銀行は衰退産業である。
かつては銀行など金融機関は『安定している』という認識があったが、時代の変化が早い現代において、『世間から嫌がられ、社会から淘汰される可能性がある業界』へと変わってきていると感じる。
どんなに優秀な学生が入社しようと、型にはまった古いしきたりや厳しい上下関係、雑用などによって、才能を潰してしまうのである。
働き方の多様化、クリエイティブな仕事が多くなってきている中で、昔からほとんど変わらない金融業界は『化石』となりつつあり、いずれ社会から淘汰されると私は考えている。
メガバンクを中心に、『リストラ計画』が始まっている段階でもある。
この流れは、地銀、信金へと波及し、避けられないだろう。
特に信金は、すでに大きく時代に遅れており、現代を生きる若者ならば1日でそれを感じると思うし、「このままではいずれ潰れるのではないか」という予想を持っておくべきだと思う。
-
前の記事
信用金庫に1年勤めた私が上司から受けたノルマの詰め・罵倒・暴言フレーズ集。 2018.05.27
-
次の記事
【信用金庫の退職交渉】「お前辞めさせねぇからな?」引き継ぎどころか案件が増え、ノルマを詰められ、有給を1日も消化できなかった話。 2018.07.17