【一生癒えない傷】私が中学生の時に、いじめを受けた話。
- 2017.12.07
- 悩み解決
こんにちは。
いねだ(@antisalary)です。
あなたはいじめを受けた経験はないだろうか。
プロフィール記事にも書いているが、私は中学時代、いじめられた経験がある。
『いじめ』というのは、加害者側はあまりよく覚えていないものだが、被害者側としては、一生忘れないほどのショックの大きい経験である。
今回は私が中学時代にいじめを受けた経験について、そして、当時私がとった行動について書いていきたい。
いじめを受けるまでの経緯
私は中学時代、サッカーのクラブチームに所属していた。
だから部活など入る気もなかったのだが、学校の規則により、どこかしらの部活に籍を置いていなければならなかった。
「だったらサッカー部に入って暇な時に参加するか」なんて思っていたのだが、クラブチーム側としては、「公式戦で二重登録になる可能性がある」と言われたため、断念。
球技は全般的に好きであったが、部活の数が少なかったりして、なんとなくバスケ部に入部。
はじめのうちは余力があったため、部活の朝練に参加し、学校で授業を受け、夜はクラブチームの練習、クラブチームの練習がない日は部活の午後練という日々を過ごしていた。
しかし、徐々に体力的に厳しくなってきて、部活の朝練に遅れることが多くなっていった。
1年生が朝練に遅れると、午後練で、廊下の端から端まで、『遅刻した回数分、休んだらその倍の数、往復で雑巾がけをする』という罰があった。
時期が経つにつれ、クラブチームとの両立が難しくなり、私は朝練に行かない日が増え、午後練も欠席するようになる。
1年生が終わる頃には、ほとんど部活には出席しておらず、時々大会だけ見に行くといったような、いわゆる幽霊部員的な存在となっていった。
当時の私の行為が気にくわない人がバスケ部に1人いて、それがいじめの始まりだった。
いじめが始まったのは、中2の春
中2になって、クラス替え。
私のことを良く思っていなかった、後のいじめの加害者(A)と同じクラスになる。
はじめは小さなことだった。
例えば、授業中に私が先生から指名され、答えると、Aが大きな声で否定してきたり、私が話しかけても今までと比べてそっけない反応をされるくらいだった。
後から思えばいじめの始まりだったと思うが、当時は実感としては全くいじめを受けていると思わなかった。
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夏頃にエスカレート、学校で誰とも話さない日々が始まる
なんとなく、今まで仲が良かったはずであったAとは距離を感じ始めていた。
次第にAと話すことはなくなった。
そして、1学期の期末テストが近い頃、私の周りで不可解なことが起こるようになった。
私の中学校は、ほぼ全員、自転車通学。
ある日の放課後、いつものように駐輪場へ行き、自分の自転車が置いてあるところまで行くと、私の自転車だけが不自然に倒されていた。
強風で自転車がドミノ倒しになったとか、そういったことならわかるのだが、どう見ても故意に倒されたとしか思えない倒れ方をしていたのだ。
そして翌日の朝、登校し、下駄箱で上履きに履き替えようとすると、下駄箱から私の上履きがなくなっている。
焦って必死に探し回ると、遠く離れた廊下の端に放り投げられていた。
それから自転車が倒され、上履きを隠される日々が毎日続くようになった。
私はこれらの行為が誰かの手によって行われていると思い、その時に感覚的に浮かんだのがAだった。
少しして、私の推測が確信になる時が来た。
私は、中2の同じクラスで仲良くしていた人が2人ほどいた。
私が仲良くしていた2人とは、Aも仲が良かった。
ある日、その友人2人と放課後に遊ぶ約束をした。
しかし、当日の放課後に、友人のうちの1人(N)から、「お前は帰れ」「帰れよ!」と繰り返し言われた。
状況が全く理解できなかったが、友人に聞くと、「Aがお前に帰れってさ」とのこと。
なぜAが関与しているのかわからない。
私が友人と遊ぶことが気に食わなかったのかもしれない。
仕方なく帰ると、同じ帰り道の前方に、なぜかAと友人2人が自転車を漕いでいた。
彼らを追い抜いた時の空気感から全てを察した。
私はこの瞬間から、この3人からいじめを受けることとなる。
友人にこうも簡単に裏切られたこと。
家で大きなショックで深く落ち込んだのを今でも覚えている。
翌日から、私は学校で、誰とも話さない、ひとりぼっちの学校生活を送ることになった。
Aと友人2人は、常に一緒にいて、なんだか私のことを常に監視しているようにさえ思えたため、席を立つこともままならなかった。
席に座っていると、たまに鋭い視線を感じ、見てみると、Aが私を思いっきり睨み付けている。
「俺、Aになんかしたっけ?」と思いながら、何も言えない日々。
放課後には自転車が倒され、朝は上履きが隠される毎日であった。
友人に裏切られた大きなショックに追い打ちをかけるように、私は精神的に追い詰められていった。
両親には言えなかった
まさか自分がいじめを受けるときがくるなんて思ってなかった。
だから自分がいじめを受けていることを認めたくなかった。
そして、それ以上に、両親に「息子がいじめられている」と心配されたくなかった。
だから両親を含め、誰にもいじめのことを相談できなかった。
そのせいか、妹に強く当たったりして、憂さ晴らしをすることもあった。
すると、両親から怒られる。
「学校でいじめられてるから家で強がろうとしてるの?」と言われたことがある。
私は何も言えなかった。
何も言えず、ただ涙が出た。
「私はなんて不幸なんだろう」と。
逃げ道はどこにもないような気さえしていた。
いじめを受けた時に私がとった行動
私は明らかに友人から省かれ、彼らに自転車を毎日倒され、下駄箱から上履きが隠されるという被害を受けていた。
当時、私は切れる時はブチ切れる人だったので、このような陰湿ないじめの被害を受けたのだと思う。
このような状況で私がとった行動について話したい。
それは、たった一つであった。
全く同じことをやりかえす
私はAが犯人だと確信を持った次の日から、されたこととそっくりそのまま同じことをやりかえすようにした。
『自転車が倒されていたらAの自転車を倒す』
『上履きが隠されていたらAの上履きを隠す』
これだけ。
決してこんなことをやりたくてやっているわけではない。
こうすることしかできなかったのだ。
先生にも相談できない、両親にも相談できない。
相談できるような友人には裏切られ、
ならば自分の力でいじめを鎮めるしかないと考えた苦肉の策であった。
『俺の自転車を倒したらAは俺に自転車を倒し返される』
『俺の上履きを隠したらAは俺に上履きを隠される』
これを繰り返していれば、Aはそのうちめんどくさくなって嫌がらせを止めるだろうと思った。
友人がAを裏切ることによっていじめが終わる
夏休みが明け、9月の、体育祭の練習の時間。
周りは何かしらで遊んでいる中、私は相変わらず孤立していた。
一人で立ち尽くしていると、たまたま私のところにボールが転がってきた。
いじめを経て、すべての人を疑うようになっていた私は、「ボールを渡せる人なんていない、どうしよう」と、困っていた。
すると、10mほど離れたところから、「いねだ!」と呼ばれたのが聞こえた。
呼ばれた方を見ると、裏切られた友人の1人(I)であった。
近くにはAもいた。
AはIに、「何話しかけてんだよ」と言っているのが聞こえた。
するとIはAに、「うるせえよ」と返した。
私はこの時、「もういじめは終わるのかも」とホッとして、Iに向かってボールを蹴った。
この時から、自転車が倒されたり、上履きが隠されたりすることはピタッと無くなった。
いじめは両親や先生に簡単に相談できるものではない
「いじめを受けたら相談しよう」なんて言われるが、実際にいじめを受けた身として、いじめられていることを打ち明けるのは簡単にできることではない。
特に学生はなおさらだ。
『自分がいじめられている』と言う事実を受け入れたくないものだ。
両親からは『自分がいじめられている』『かわいそう』なんて思われて、心配をかけたくない。
さらには、相談して、両親や先生が対応することによって、いじめがエスカレートする場合もある。
かといって抱え込んでいては状況は悪化する一方である。
いじめ問題は簡単に解決できることではないということを知ってもらいたい。
いじめを受けた後遺症は大きい
私はかつて仲良くしていた友人からいじめを受けた。
このいじめにより、いじめが無くなった後も、ひどい人間不信に陥り、今もなお克服できていない。
どんなに人当たりが良い人で会っても、疑ってかかってしまう。
また、
「こんなことしたら嫌われるだろうか」
「こんなこと言ったら嫌われるだろうか」
と極度に気にしてしまい、人とうまく関われないことも多い。
いじめの経験を、被害者は一生忘れない
中2のいじめを受けたころから、10年が経つ今でも、これだけのことを覚えている。
加害者は大して覚えていないだろうが、被害者からすれば、人生の中で最も大きな傷を負った出来事である。
忘れたくても忘れられないのだ。
そして今でも「下手なことをするといじめられるのでは」と不安になったり、人のことを疑う癖がついてしまっている。
学校の教育制度にも問題があると思う
いじめられていることを誰にも打ち明けられず、逃げ出すことも許されない状況の中で、自殺者が少なからずいる。
いじめを受けたなら、環境を簡単に変えられる体制を作るべきだと思う。
人は案外簡単に壊されてしまう。
1つの集団の中でいじめを受け、その人の価値や自信が潰されているのにもかかわらず、社会に出たら何事もなかったかのように扱われるのはおかしいと思う。
被害者は一生、いじめの記憶を持ち続け、トラウマも持っている。
世界はもっと広いこと、今の人生がすべてではないことを義務教育の段階から知っておくべきだと思う。
最後に
いかがだろうか。
いじめの加害者、被害者どちらにも、『いじめというのは決して簡単な問題ではない』ということを知っていただけたら幸いである。
私はこれからも、過去の『いじめ』を背負って生きていく。
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