『いねだ』とはどんな人か?私のプロフィール。〜幼少期から就職、そしてブログを始めるまで〜

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こんにちは。

いねだ@antisalaryと申します。

この記事は私の人生を振り返って、
私がどんな人か知っていただけたら
と思って書いた。


私がどんな風に育ち、
なぜ今このようにブログを書いているのか

と言ったことを書いていきたい。

※プロフィール記事は
定期的に更新していこうと考えております。

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目次

私の人生。

幼少時代

病弱な子供で、喘息持ちでもあり、
ほとんど幼稚園を休んでいた。

内気でいじめにもあったり、
友達もほとんどいなかった。

合唱や演奏など、みんなと同じようにできなかったり、
体操の時には土に膝をつくのが無理だったり、
今思うとこの頃から
少し周囲から浮いていたのかもしれない。

小学生時代

父親の意思で、
父親の実家へ引っ越し。

そこで小学校に入学するも、
周りは幼稚園時代からの友達で
仲良くしている一方、
私は誰も知らないため、
最初は毎日が嫌だった。

持っている鍵盤ハーモニカも
私だけ色が違い、
仲間はずれな感じがしていた。

小学校に入学すると、
ご存知の通り、
義務教育が始まる。

『個性を潰し、周囲と同化させる』ための
教育だと私は思っている。

この頃から嫌なことはやらない人だった

記憶に残っている出来事は、
小学1年生の頃、
クラスの国語の授業で行われた
音読の速さを競う、
速読選手権なるもの。

クラス全員が起立させられ、
1つの題材を音読し、
読み終えた者から
着席するちょっとしたゲーム。

私は嫌だったしめんどくさかったので、
黙読して、1番最初に着席した。

すると全員が着席開いた後、先生が
「私より速かったね。やってみて。」
と言い、私は全員の前で起立させられ、
音読させられることに。

もちろん、音読してないし、
本気でやったところで
速読なんて得意ではなかったし、
そもそも本気で取り組む姿を
人に見られるのが好きでなかったため、
マイペースに読んだ。

小学校低学年の私でさえ、
やばめな空気が漂ったのを感じた。

まさに公開処刑であった。

案の定、「言われたことはやれ」と、
先生に怒られる事件であった。

他にも『写生』と言って、
国語の授業で扱う題材を
原稿用紙に書き写すだけのことも
よくやらされたのだが、
私はどうしてもそれができなかった。

行の1番上の文字だけを
原稿用紙の各行の一番上に書き、
提出していた。


なんだか周囲と自分が違っていることは
小学校低学年の私も少し感じていた。


嫌々ながら少しはやっている感じは
今もなお変わっていない。

友達と遊ぶこともあまりなく、
普段何していたのかよく覚えていない。

運動もできず、
持久走大会では後ろから数えたほうが
早いくらいの順位。

ダメダメな人間でした。

小3で始めたサッカーが私を変える

私の人生を変えた出来事がある。

それはサッカーを始めたことだ。

父親がサッカー好きであったこともあり、
小3の時、親の勧めでなんとなく少年団に入る。

サッカーを始めたことによって、
土日はサッカーの練習に行くようになった。

最初はなんとなくやっていたが、
少しずつ充実感が出てくるように。


サッカーを始めると
関わる人も変わってくる。

いわゆるイケイケな人たちとの
接点が増え、サッカーで活躍できると
イケイケな人たちから認められていく。

徐々に学校の中でも
自分が活発なイケイケな部類に
入っていくのを感じた。

ほぼビリであった持久走大会も、
上位に食い込めるように。

不思議と授業の方も
積極的に取り組めるようになっていき、
少しずつ自分に自信が持てるようになっていった。

学校に存在するカースト制

よく言われることかもしれないが、
学校にはカーストが存在していると思う。

サッカーをやっている人は
基本的にカースト上位に食い込んでいる。



小学生の子供を持つ方が
この記事を見ていたら、
子供にはスポーツが好きな子に
なってもらった方が、
学校では有意義に過ごせると思う。



スポーツの中でも
サッカーは特に強い。

この低学年時代、ダメダメだった私でさえ、
サッカーを始めたことで
校内での立場が明らかに上がっていった。

小学生のモテる基準は運動ができるかどうか。



小学校時代、人気のある人は
運動ができる人だと思う。

低学年時代に私を見下していたような人たちが
サッカーを始め、活発になっていく私に対する
見方が変わっていき、
女子にも多少モテていたのではないか
と思うくらい待遇の良い環境に
身を置くことができるようになっていた。

結果的に、充実した小学校時代。

高学年になると、
サッカーしかやっていなかった。

平日は休み時間にサッカーをし、
休日はサッカー友達と
何かしらやって遊ぶ日々。

休日はサッカーの試合で、
充実していた。


学校でも、勉強はそこそこでき、
先生からは気に入られ、
男子からも女子からもいい目で見られていたため、
全く後悔がないかといえば嘘になるが、
満足のいく小学校生活を過ごした。

中学校時代

ちゃらんぽらんな感じで中学校に入学し、待ち受けていたもの。

中学校に入って最初にぶつかるもの、
それは『上下関係』である。

1個上の人が小学校にいた
ついこの前までタメ口で
仲良く話していたのに、
たった1年の間に
「先輩には敬語を使え」とか、
服装を注意してきたりとか、
先輩風を吹かすようになっていた。


私は今まで仲良くしていた人との間に
上下関係が生まれてしまったことによる、
距離感が作り出されてしまったことや、
全く面識のない先輩に
服装の乱れを注意されたりしたことに
周囲に監視されているようなトラウマや、ショックを受け、
未だに上の人には苦手意識を持ってしまっている。

県内有数のクラブチームに入団、挫折を味わう

私は中学校に入ると共に、
より上のレベルでサッカーをやるため、
県内でも上位のクラブチームに入団。


ここで大きな挫折を味わった。

同期の何人かがJリーガーになるような
クラブチームに所属していたのだが、
小学校時代の自信が一瞬にして
壊されてしまったのである。

指導者には怒られ馬鹿にされ、
同期にも使えない要因として認識され、
私はどんどんマイナス思考になっていく。

チームが負けたら
「全部自分のせいなのではないか」
くらいに思っていた。

そして、怒られるのが嫌になり、
試合の中でも、
目立つことを避けるようになるどころか、
いかに自分がボールを持たないようにするか
さえ考えるようになっていった。


他人の目を極端に
気にするようになってしまったのは
先ほど述べた、入学当初の
上下関係のショックと、
この時の経験からなのではないかと思う。

中2の頃に受けたいじめ被害

私の中学では
どこかしらの部活に所属することが
義務となっていたため、
とりあえずバスケ部に入部。

クラブチームの方が忙しく、
ほとんど参加できていなかった。

すると、真面目に取り組む人から
批判的な意見を浴びるようになる。

そして、その中の一人が、
私のことを嫌い始め、
いじめの被害を受けたのだ。

クラブチームでは実力主義の中で
私は最底辺。

周囲からも認められず、
仲間はずれに近い状況であったが、
学校ではそれなりに楽しんでいた。


しかしいじめを機に
学校生活も一変した。

学校に行き、上履きに履きかえようとすると、
下駄箱に上履きがない。

焦って探し回る恥ずかしさ。

そして帰りに駐輪場に行くと
私の自転車が倒されている。

今まで仲良くしていた人から受けたいじめであったため、
私の心は深く傷ついたのを覚えている。


クラブチームで上手くいかないことと
重なり、私は精神的に不安定になっていった。


私は自信を完全に無くしていた。


このような状況にいざ陥ってみると、
親にも誰にも相談できなくなる。

親にこんなことで心配をかけたくないし、
相談したところで解決するものでもないと
思ったのだ。

それ以上に、
自分がこの現実を受け入れたくなかった。

いじめの解決策って
いじめられた本人が相談しにくいことであり、
改めて難しい問題だと感じる。

私が実践した、いじめ対応策

いじめを受けた私が取った行動は、
『Aに全く同じことをやりかえす』
ことだった。

上履きを隠されたら
Aの上履きを隠し返したし、
自転車が倒されれば、
Aの自転車を蹴っ飛ばしていた。

それしかできなかった。

本来、こんなことをする人間ではないため、
良心が痛むだけであった。

でも精神的に病みそうな状況で、
負けてられないという一心で
やったことであった。

やり返しているうちに、
相手も面倒くさくなったのか、
上履きや自転車の被害はなくなった。

運良く、このいじめはある日、
Aの友人の裏切りによって
なくなったのだけれど、
もともと仲の良かった人から
突然いじめを受けたことによって、
私は軽い人間不信に陥り、
今もなお克服できていない。

勉強はまあまあできる方だった。


勉強の方は、まあまあであった。


1学年100人くらいの中で、
10〜20位くらいの成績。

レベルの低い中学でしたが。

両親と対立しながら迎えた受験期

反抗期を迎えていたこともあり、
中3の秋頃まで全く勉強ができない状況の中、
偏差値は50くらい。


そして当時、
爆発的に人気のあった、
『モンハン』にハマっていた。

やらずにはいられなかったのである。

受験勉強そっちのけで
こっそりゲームを学校に持って行き、
休み時間にやっていた。

放課後も毎日友人とモンハン。
家に帰ってもモンハン。


耐えかねた父親に、
ある日、強引にPSPを奪われ
隠されてしまった。

それでも勉強はしなかった。

しかしある日、同じ塾に通っていた中学の友人が、
急に受験勉強を始めたので、
私もなんとなく、塾に渡された
受験攻略法なるものをやり始める。

それが、案外やりやすく作られており、
嫌な思いをすることなく
全科目1周終えてしまった。

これが自信につながり、
少しずつ勉強のモチベーションが高まっていった。

さらに、塾の中で優秀な人を見つけ、
ペンの持ち方から勉強の仕方をそのままパクったり、
塾で可愛い子に勉強できるアピールすることを目指したりしながら
モチベーションを高め、日々受験勉強に取り組むようになった。

趣味を奪って強制しても、子供は勉強しない。

中学生の私はこれを学びました。

子供に勉強させようと、
子供の趣味を強制的にやめさせて
勉強をやらせようとする親はいると思う。


この方法は逆効果であることを
この場で伝えたい。


人間誰しも、
強制されることは不快な気持ちになるもの。

だから、
子供の好きなことを奪うのではなく、
好きなことはやらせる中で、
『勉強も好きになってもらうよう』
努めていくべきだ。

もし私が子供を持ったら、
そうできるよう、努めていきたい。

.

.

結果、無理だろうと思っていた
偏差値62くらいの公立高校に進学。

高校時代

とりあえずサッカー部に入部。

クラブチームで嫌な思いをしたが、
サッカー自体が嫌いになったわけではなかった。

ここで苦しかったクラブチームでの経験が活きる。

まず、スキルの面では、
基礎的な技術が
中学校の部活出身の人と比べて
私はしっかりと身についていることを
実感した。

私はセンスなどないので、
クラブチームで基礎を身につけていなかったら
高校サッカーなどついていけなかったかもしれない。

そういう意味では、
クラブチームに入ってよかったと思う。

しかし、相変わらず、
中学時代に染み付いてしまったマイナス思考が邪魔をし、
試合中の判断に支障をきたしてしまうことが多かった。

監督にはしょっちゅう怒られ、
徐々にやる気はなくなっていった。

反発したい気持ちのあまり、半グレに



毎日のように
「部活やめてバイトしようか」
と考えてバイト探しをしたり、
「自由な身になりたい」という思いで
一時期グレてしまい、
髪を染めたり、服装を極端に乱したりするように。

勉強も一切しなくなった。

わざと遅刻をして目立とうとする
黒歴史もある。


年100回以上の遅刻をしていた。

それでも私の高校、いい人ばかりで
そんな自分も受け入れてくれて、
楽しかったので、
ちゃんと学校には行っていたんですね。


実はこの頃から、アメブロとかで
ブログを書くようになった。

高校生活の
3分の2くらいは
更新していたと思う。


当時のブログは
グレた自慢をするツール
と化していた。

高2の終わりくらいまで
このような状態であり、
成績はクラスビリ。

身だしなみが乱れているため、
生活指導の先生(柔道部顧問)にも目をつけられ、
毎日体育教官室に呼び出され、
怒られる日々であった。

周囲が引退する中、部活を続ける優越感

高3になると、
周囲は受験勉強モードになった。

しかし私は高2までの堕落習慣から
抜け出せずにいた。

一切勉強していなかったツケが回り、
偏差値は40前後。

何から取り組めば良いのかわからないし、
基礎の基礎からわからないので、
1からやり直すことが
めんどくさくてしょうがなかった。

このようなこともあり、
勉強ではおそらく
最後までやりきることはできないと思い、
「何か1つでもやりきったと言えるものを作りたい」
と考えた時、
私はサッカー部で最後まで全うすること
しかないと考えた。

受験モードになる中、
周囲で仲良くしていたサッカー部の人は
やめていき、残ったのは、
レギュラーとして活躍する人と、
意識高く取り組む人のみになった。

周囲は受験勉強で悶々としている中、
部活を生き生きとやっている自分に
漠然とした優越感を持つようになった。


「私がこの中に残り続けて大丈夫だろうか」

と最初は思ったが、
意外にも快く受け入れてもらえ、
私は最後までやりきる決心をした。
(やる気はなかったけど、運良くレギュラーでした。)

とは言っても、新入生に
有力な人が入ってくる話もあり、
そのタイミングで辞めようか
とか、良く考えていたものだ。

最終的には
「辞めるのはダサい。新入生にレギュラー取られてもやりきる」
と決めた。

新入生は確かにうまかったが、顧問に
気に入られていなかったこともあり、
なんとかレギュラーを守ることができた。


振り返ってみると、
「やりきる」と決めてから引退するまでの
約半年、本当に充実感があったし、
心から続けて良かったと思う。

今でも自信を持って
「高校までサッカー部だった」と言えるのは
最後まで続けたからこそだと思う。

部活のレギュラーの人や
意識の高い人たちと
今まであまり接点がなかったのだが、
周囲が辞めて人数が減ったことで
一体感が増し、
私のようなダメな人間も受け入れてくれて
本当に楽しかったし、
サッカー部の皆には心から感謝している。

部活引退、音楽との出会い

高3の秋頃、部活を引退した。

一瞬にしてやるべきものが見えなくなってしまい、
仕方なく受験勉強に取り組むも
目標も特になく、やる気が出ない日々を過ごしていた。

ある日、父親がロックに詳しいこともあり、
80年代日本のアングラシーンの
音源を聴く機会を得る。


私は今までに感じたことのない衝撃を受け、
バンドをやることを決心する。

しかし、私の地元で
80年代アングラなんて知ってる人は
ほとんどいなかったため、
誰にもこの話を共有できずにいた。


だから続けていた
ブログに独り言のように書いていた。

バンドをやるために東京の大学へ行くことを決意

「東京に出れば趣味の合う人に出会えるかも」

そう思い、東京に出るために
大学へ入ることをモチベーションに
勉強に取り組む。

しかし時すでに遅しで、
偏差値40なのに、
相応の大学を受けなかった私は
大学受験は全敗。

1年の浪人生活を余儀なくされる。

浪人時代

東京に行きたいがために文転

高校時代は理系であったが、
東京に出ることが目的だった私は
浪人を機に文転を決意。

大学を出た後のことなんて
全く考えていなかった。

『駿台』という予備校に通い、
授業には全部出席し、
毎日朝から夜までほぼ休まず
ストイックに勉強していた。

高校時代、1秒も勉強していない
日本史を始めたり、
古文を1から始めたりと、
我ながらよくやったなと思う。

友達は1人も作らないことを決めていて、
極限まで視野を狭めて勉強していた。

毎日死にたいと思っていた


これだけ勉強しているにもかかわらず、
成績はなかなか上がらなかった。


途中で何度も鬱になりそうで、
駅のホームでは
「飛び降りたら楽だな」
と思うこともしばしば。

家でも精神的に不安定であり、
両親には大きな迷惑をかけたと思う。

努力が報われ、なんとか志望する大学に合格

成績が上がり始めたのは
12月ごろ。


秋の時点で50程度の偏差値が
65くらいにまで上がったのである。

4月から頑張って
9ヶ月もかかった。

本番では
滑り止めに考えていた大学に落ち、
本気で死のうかと思ったこともあったが、
なんとかMARCH大学には
ほとんど合格することができた。

早稲田には落ちた。

大学時代



無事、都内の某MARCH大学に進学。

音楽をやることしか考えていなかったため、
迷わず軽音楽サークルに入部。

期待通り、
私の趣味を理解してくれる人に出会えたし、
やりたいことができた。

楽器初心者として、
下手くそであったが、
バランスを捨て、
個性を売りにした結果、
その個性を買ってくれる人がいて、
それなりに上手くいった
4年間であった。

しかし、学業には
全くと言っていいほど
取り組んでおらず、
1年留年する羽目に。

進路についても何も考えておらず、
「周りに合わせて就職することになるのかな」
程度に考えていた。

留年時代

漠然と金融業界に興味を持ち、
銀行を中心に就職活動。

留年というハンデを背負いながらも
なんとか内定を得る。

株にも興味を持ち、
学生であることによる
圧倒的時間を活かし、
デイトレをしたりしていた。


いずれは脱サラして
投資家になりたいと思うようになる。


ここまで来ても
バイト以外の稼ぐ手段を
見いだせていなかったことには
強く後悔が残る。

社会人

某銀行に就職。

待ち受けていたのは
軍隊研修。

いきなり宿泊研修で1週間拘束され、
全力でのラジオ体操をやらされたり、
社訓を大声で言わされたり。

洗脳されたふりをして乗り切る。

支店配属、頻繁にかかってくる電話にうんざり。

ひどい時は1分に1回電話がかかってくるような職場。

新人は電話を取り次ぐのも仕事のため、
仕事を覚えたいのに
目の前の仕事に集中できない日々。


頻繁にかかる電話を取り次ぐことに
価値を見出せず、
早くも「つまらない」と思うようになる。

本気で会社を辞めることを考えるようになったきっかけ。

私が退職することを本格的に考える
きっかけになったイベント。

それは本業とは関係のないことであった。

『地域の祭り』である。

休日を奪われ、強制参加させられた。


私は今までの趣味などから、
『祭り』というものを見下して
育ってきていた。


だから本気で「わっしょい」とか言って
神輿を担ぐことが本気で嫌だった。

「わっしょい」とか言ってる自分が
屈辱的だったし、さらに上司からは
「声が小せえよ!」と何度も罵声を浴び、
最悪な気分で祭りを終えた。


この日に、
「サラリーマンは嫌なこともやらなければならない世界なんだ」
という確信を持つようになり、
会社に属すること自体に嫌気がさす。

即決でブログを始める



会社に嫌気がさし、
脱サラを試みてブログを開始。

現在に至る。

祭りでの件があった直後、
嫌なことを我慢してやらなければならない
サラリーマンは不幸だと思った為、
転職は考えなかった。


そもそも毎日出社することが嫌だったので、
どこに転職しても幸せになれないと思ったのだ。

この時、
たまたまRyoheiさんという元銀行員ブロガーの
記事に共感していたこともあり、
すぐさまブログを開始した。

脱サラを試みる段階に来て思うこと



正直、祭りの件がなくとも
会社に行くこと自体が嫌であったため、
早期にこのような判断ができて
よかったと思う。

祭りは最悪だったが、
祭りがなければ、私は今頃
なんとなく会社に居続ける
運命になっていたかもしれない。

そういう意味では
罵声を浴びせてきた上司には
感謝したほうが良いのかもしれない。

今、人生の分岐点にいる

ブログはまだ駆け出し。
会社にもなんとなく行っている。


今が人生の分岐点であるとともに、
会社を辞めても収入源を失うという、
ものすごく歯痒い時期でもある。


「絶対にサラリーマンを辞める」
「絶対にサラリーマンには戻らない」

という意志のもと、
日々ブログを更新している
自称ブロガーです。

私が目指すもの



脱サラして、投資家、ブロガーになることが夢である。


今の時代、サラリーマンとして生きていくことは
幸せなことではない、むしろ不幸なのではないか
ということをサラリーマンを経験して実感した。

特に、投資家になるためには、
サラリーマンでいる限り不可能である。

しかし脱サラしたら、実家に戻らざるをえなくなる。

軌道に乗るまでは、実家で

・日中…株
・夜…バイト
・時間を作ってブログ執筆

という日々を過ごせたら良いななんて思っている。

いずれはバイトも辞め、
株とブログでサラリーマンの月収を
上回ることが目標である。

人生を振り返って後悔していること。


私は学生時代に自分の将来像を考えていなかった。

学生時代、特に大学時代である。

軽音楽サークルに所属し、
バンドをやっていたのだが、
非常に金がかかる。

常に金がない状態であった。

だから、目の前のことしか見えず、
『稼ぐならバイト』
という思い込みをしてしまったのである。

バイトにはそれなりの時間を奪われていた。


貴重な大学時代を
このように過ごしてしまったこと、
今では反省している。


労働でしか稼げないという
思い込みを疑って、ブログなり株なり、
もっと真剣に取り組めばよかったと思っている。

最後に

いかがだろうか。

これが私の今までの人生である。


こうやって振り返ってみると、
紆余曲折あり、辛い経験多々あり、
という人生だったなと感じる。


私は実は、大学も就職も、
どちらもストレートに
進んでないんです。

だからまともなレールを歩んだ人よりも
自分のことを考える時間はあったはず。

今思えば、
急いで就職しなくてよかった
と心から思う。


就職を早まったところで
自分の時間がなくなるだけで、
なんのメリットもない。

そういったこともあり、
今の自分があるのかなと思う次第である。

今後、私がどうなっていくのか、
自分でも想像できないが、
どうぞこのブログを
お願いいたします。

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