銀行のここがイヤ!銀行あるある
- 2017.08.02
- 金融業界の実態
私は勤めた期間がそう長くはないが、
それでも感じる銀行特有の謎文化が多々あったので
それについて書こうと思う。
①細かすぎる事務処理
現金を扱っている以上それを避けるのは容易ではないと思う。
だがそれにしても細かすぎて呆れるのだ。
ほぼすべての作業において役席の職印が必要であり、
扱った書類、伝票のほとんどを役席へ回す。
それを検印なんていうのだが、
検印をもらってから実際に作業に移り、
作業を終えたらまた検印。
ひとつの工程を終えるのが非常に遅いのだ。
にもかかわらず時間に追われているため、
基本的にはどんなにいい人であってもイライラしている。
重要なものになるほど
支店長印まで必要になったりして、
自分が扱った書類は何処へやら状態になる。
そして検印に回すためにわざわざ
コミュニケーションをとらなくてはならないのが面倒である。
膨大な書類の中で1つでも検印がなければ
監査が入って見つかるとまずいので、
非常に細かい書類の一文字一文字見逃すことなく
厳しいチェックをされているのだからお互いストレスがたまる。
②心が失われる。
なぜか。
私が思うに、事務作業に機械的正確さが求められており、
私情の入る余地なんてないのだ。
私はなんでこんなことをやっているのだろう。
なんて考えてる隙にミスが起こってしまったりして
一切油断が許されない状況で各々労働している。
これを日々続けていくことで徐々に魂がなくなっていくのだ。
③理解しがたい量のつづりもの、保存書類
これも個人情報等扱っている以上、
慎重にならざるをえないのはわかる。
しかし毎日続けていると、無駄な作業としか思えないし、
こういった作業が残業の元になっていると思うようになってくる。
伝票が1枚でもなければ支店が総動員で手当たり次第探したり、
ゴミ箱をこれでもかというくらいあさる光景は
シュールであるが、銀行ではそう珍しいことでもない。
④休憩、休暇後の謝罪
休憩時間に昼飯を食べたり、何かしらの用事で不在だった場合、
上席から順に一人ずつ謝らなくてはならない。
我々の世代からすると非常に抵抗あるし、
飯食っただけで謝るとか到底理解できない。
しかし、今に至るまでそんな文化がしぶとく残っているのだ。
そして基本的には休みたい時に休めないと考えたほうが良い。
人が足りているわけでもないし、
全員の許可が必要だったりして休む手順もめんどくさい。
そして上からの圧力で休めなかったりする。
最低限の待遇は整っているが、ある意味ブラックな面でもある。
⑤厳しい上下関係
上下関係は厳しいと言わざるをえない。
そして体育会的な風土のある業界といえよう。
声がでかいと何かとうまくいくのではないだろうか。
支店長の権限は非常に強く、
支店長に嫌われようものならば、出世が危ぶまれる。
だから家族のいる上司も皆、休日のゴルフには
無条件で参加したり、
飲み会に誘われれば断ることができない。
1度でも断ってしまえば…というレベルである。
⑥風通しの悪さ
先ほど申し上げたように、
ミスをしてしまえば減点され、出世が危ぶまれ、
膨大な書類をミスの許されない状況下でチェックしたり、
上からのノルマの圧力もあり、全体的にピリピリしているため、
上司には話しかけにくい。
なのにちょっとしたことで役席の職印などが必要であり、
イライラした返答が返ってくるのがわかっていて
わざわざ話しかけたり、上司の仕事を中断させてしまうのが辛い。
このように、営業ノルマがきついことは周知かもしれないが、
営業に出れば売りたくもない商品のノルマに関して厳しく詰められるし、
中にいればいたで時間に追われる中で機械的正確さを求められ、
休憩も思うように取れない、
殺伐とした環境の中で過ごさなくてはならず、
非常にストレスフルな環境である。
しかしこれでも皆はそれについて
おかしいとか思わないで新人にもやらせるのだから不思議である。
周りを見たら考え難い常識があるのに、
明らかに見えなくなっているのだ。
古くから体質が変わらず、
ここは昭和の学校かと思うくらい
居心地の良くない環境下で
我々は我慢して働く必要があるのだろうか。
その経験から何か得られるのだろうか。
目の前の細かい書類を見ているよりも、
一刻も早く外に出て、
多様な価値観に触れていくことが
現代には求められているのではないだろうか。
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